リック・アストリーについて
リック・アストリー(リチャード・ポール・アストリー/Richard Paul Astley)は1966年2月6日生まれの51歳(2017年4月現在)イングランド ランカシャー州ニュートン・ル・ウィローズ出身です。ニュートン・ル・ウィローズってどこってあなた。私も知りません。地図で見ると、サッカーで有名なマンチェスターとビートルズの出身地リバプールの中間に位置しています。
だいたいすでにマンチェスターとリバプールってどこよ?ってあなたにはもうちょい引いた地図をお見せしましょう。ロンドンからは大分離れますね。
ここでリックは4人兄弟の末っ子として育ちました。彼が4、5歳の時に両親が離婚し、リックは父に育てられました。母親は同じ街に引き続き住んでいたため、頻繁に会っていたそうです。当時のイギリスでは両親が離婚して父親に育てられるということは珍しくこの環境がリックの内面に多くの影響を及ぼしました。
リックの音楽との出会いは幼少期、学校や教会の合唱団に加入して歌を歌うことから始まります。リック少年は姉や兄たちの影響でロックやパンクが好きな少年として成長しました。
そして、リック少年が15歳の時学校のバンドにドラマーとして参加します。そこから初めてポップスへの興味が湧き始めます。この学校のバンドがのちのFBIとなります。現在下院議員として活躍しているデイビット・モリスもメンバーの一人でした。
リックは初めFBIにドラマーとして参加していましたがボーカルが脱退したため、ドラマー兼ボーカリストに転身。16歳で学校を出た後、父の園芸関係の仕事を手伝いながら夜はナイトクラブでバンド活動をしていました。そしてこの時、リックの転機になる出来事が起こります。FBIのマネージャーが長年の友人ストック・エイトキン・ウォーターマン(Stock Aitken Waterman/SAW)のピート・ウォーターマン(Pete Waterman)にバントのライブを見に来てほしいと依頼。実際に見に来たピートはリックをスカウトします。しかしスカウトしたのはバンドではなくリックだけ。それも歌手としてのオファーでした。しかしリックはバンドへの忠誠心を理由に大物プロデューサーの誘いを初めは断りました。その後説得に応じSAWの音楽レーベルPWL(Pete Waterman Limited)のスタジオで働くことになります。スタジオ内ではteaboyとして働きながらレコーディングの技術等今後のキャリアの基礎になることを学びました。teaboyが何だかさっぱりわかりませんが、お茶汲み男子くらいな訳になりますでしょうか。実際は下積みでいろんな雑用をしながらデビューの時を待っていたのかと思いますが、このteaboyというポジションが後で効果的にプロモーションに使われることとなります。ちなみにこの時、SAWはFBIのメンバーのほとんどを雇用したという温かい話も残っております。
当時の大ヒットメーカー、プロデューサー軍団Stock Aitken Waterman(SAW)
そして1987年、リックはRick&Lisaとしてデビューしますが、いまひとつヒットせずでした。その後同年Never Gonna Give You Upでソロデビューを果たし、これが空前の大ヒットを飛ばします。つづくシングルも次々ヒット。本国イギリスはもとより、ヨーロッパでも売れまくりました。そしてミュージシャンなら誰でも憧れるアメリカでも1位を獲得。SAWプロデュースのアーチストの中でもダントツの成功を収めました。先日まで普通のお兄ちゃんだったリックは急に世界中のアイドルとなりましたが、この活躍が後に本人の中で葛藤を生むこととなりました。。
若かりし日のリック・アストリー。この正面から見た顔つきは今も変わりませんね:1987年1月
その後リックはPWLとは別れ、ポップ路線からソウルフルなの曲を歌うシンガーに変貌し、1990年代にはセルフプロデュースのアルバムを制作するなど、引き続き活躍を続けていました。ところが、以前ほどの勢いはないにしろ、まだまだ売れるアイドルソウルシンガーであった1992年6月、突然引退を発表。華やかな舞台から身をひきました。理由は交際していたデンマーク人のガールフレンド、レーヌ・バウセガー(Lene Bausager)とのあいだにもうけた長女(当時1歳)の子育てに専念するためと、また家族との時間を大事にしたいという理由でした。忙しすぎるアイドルスターにありがちな普通の生活を送りたいという儚い願望のようにも思えますが、そこはキャンディーズ(古いっ)なんかと違って、簡単には戻ってきたりはしませんでした。
その後、家族との時間を大事にしながらも大スターにしては慎ましいほどの地味な音楽活動をする程度のリックでしたが、2007年ごろ本人の意思とは無関係に突如起こった一大ムーブメントに巻き込まれることとなります。リックロールと呼ばれるインターネット上のいたずらにリックのNever Gonna Give You Upが使われ、世界中にビデオクリップが流れまくり、突然注目の的にとなったのです。
しかし彼はこれを自分とは関係のないこととし、ブームに乗って活動を増やすわけでもなく淡々と今までどおりの静かな生活と地味な音楽活動を続けてきました。
日本でも懐かしのアイドルが、たまにテレビに出て過去の歌を歌ったりする程度の人がいらっしゃいますが、おそらく地元イギリスでも「あの人は今」的な扱いだったのではと思われます。
そして月日は流れます。2016年6月に完全自主制作のアルバム50を発売。歌以外の楽器もすべて自分で演奏し、自宅のスタジオで制作した本当の意味での自作アルバムがイギリスのチャートでファーストアルバム以来の1位獲得、それも初登場で1位という快挙を達成しました。これを機にリックは完全復活を成し遂げ、イギリス、ヨーローッパ、アメリカでライブツアーを敢行。現在も精力的に活動しています。
日本には引退前は1989年にジャパンツアーで来日。引退後には2006年3月の80’s Dance Pop Summitと2014年11月に単独ライブで来日を果たしています。80’s Dance Pop Summitはプロフェッショナルミュージシャンとして再始動するきっかけになったらしく、その後ライブの数を少しずつ増やし活動してきたそうです。当時のライブでは昔の歌とカバー曲で構成していたのですが、観客やSNSの声で「新しい曲が聴きたい」という要望が多くなり、その後の50の制作につながるようです。本人はそれほど自信がなかったそうですが、まさかの大ヒットとなりました。50のヒット以降、インタビューやライブの様子を見ていると本当に歌を歌うこと、音楽そのものをエンジョイしているようです。喋りも饒舌(よく喋るなあと正直思います・・・)ジョークも飛ばしまくりです。バンドのメンバーもいつもお馴染みのメンバーでまるで家族のように仲がよさそうです。
きっと彼の手相や生年月日の占いを見たら「大器晩成」と出ているに違いないと思います。
50歳での再始動、中年の星として輝き続きてほしいものです。
ちなみにレーヌ・バウセガーはアカデミー短編映画賞にもノミネートされたことのある映画プロデューサーで、リックとは2013年ごろに結婚しました。(2016年のインタビューで結婚して3年と言っていたのでおそらく合っていると思います。)長年ボーイフレンドとガールフレンドとして生活しつつ、20年以上経ってから結婚するとは流石ヨーロッパって感じですね。国際結婚ですし、お互いプロフェッショナルな仕事もしつつ、財産もあり、万が一の時は財産を引き継ぐ権利のある娘もいる。結婚をしようがしまいが、二人の間は変わらないし、法律の上でも結婚を急ぐ必要ないカップルだからかもしれませんね。
RickとLeneナイスカップルですねー。
以上、リックの略歴でした。